第1回  非正規移民 in ベルギー  保健医療アクセスとワクチン

世界の保健医療アクセス事情

ベルギーで非正規移民に保障されている最低限の保健医療

ベルギーの首都ブリュッセルの教会。700名近くの非正規移民たちがハンガーストライキを始めてから10日が過ぎました。(2021年6月5日現在)1,2 。様々な事情や経緯を持つ彼らが求めているのは、今日明日をしのぐためのシェルターや食糧の緊急支援ではなく、職や教育、医療・保健サービスへ正式にアクセスできるようになることです 1,2,3 。彼らは手に届く医療あるいは保健サービスを長いこと求め続けてきました 4。新型コロナウイルスの流行が続く中で、ベルギーに暮らす非正規移民たちの健康はどのように取り扱われているのでしょうか。

ベルギーには、Urgent Medical Aid(UMA)という制度があり、健康保険がない非正規移民にも最低限の医療アクセスが制度上保障されています 5,4,6,7。 2013年、非正規移民はベルギー人口のおよそ0.8%から1.4%にあたる85,000人から160,000人いたと推定され、うち17,602人がUMAによって利益を受けたといいます 7。これはすなわち、2013年だけでベルギーの非正規移民のうち10-20%の人々が少なくとも1回は医療サービスへアクセスできたことを意味しています 8。
うまく機能しているように見える制度ですが、実際には、非正規移民は医療・保健へのアクセスに困難を感じており、UMAを十分に利用できないでいます 4。2015年に33名の非正規移民に行われたUMAに関するインタビューでは、以下の4つの問題点が浮かび上がりました。

1) カバーされるケアが不明確
2) 利用できる医療施設が移民にとって分かりづらい
3) 手続きが複雑で時間がかかる
4) 窓口担当者によって対応が異なり、同じ症状でも同じケアを受けることができない

このように、制度があっても十分に活用されていない問題はベルギーだけでなく、イギリスやフランス等、移民が多く住む他のEU諸国、さらには世界中でも指摘されています。非正規移民の保健医療アクセスについて、各国の事例を踏まえながら、この連載で考えていきます。

非正規移民への新型コロナワクチン接種

少し目線を変えて、2021年も半分が過ぎようとしているいま、各国で接種が進む新型コロナワクチンについて、ベルギーの非正規移民への対応はどうなっているのでしょうか。
2021年1月初旬、ブリュッセル首都圏政府保健大臣のアラン・マロン氏は「非正規滞在者をワクチン接種の対象から外すのは問題外だ」と発言しました 9,10。 ブリュッセルのリーダーによるこの先進的な発言の後、ベルギー連邦保健大臣が2021年3月に議会で、非正規滞在の人々にもワクチンを提供することを確認しました。大臣の発言は、約17,000人のホームレスに加えて85,000から160,000人いるとされる非正規移民の人々がワクチンを接種できるように、移動式の医療チームを検討するという画期的なものでした 11。

ブリュッセル域内の報道によりますと、2021年5月19日からホームレス、移民、非正規雇用等、5,000人を対象とした第一弾ワクチン接種キャンペーンが実際に開始されたそうです 12。ブリュッセル首都圏の健康政策を担うCommon Community Commission (COCOM) 13が組織した移動式ワクチン接種チーム”Mobivax”は、Samusocial、世界の医療団(Médecins du Monde), 国境なき医師団(Médecins Sans Frontières)、 ベルギー赤十字(Croix-Rouge de Belgique)の4団体で構成されています。これらのNGOが実行部隊として、まず女性用シェルター等の脆弱層向け施設へのワクチン接種に向かいました。

住所登録がない人々には、1回のみの接種で済むジョンソン・アンド・ジョンソン製のワクチンが採用されました。ところがこのワクチンを接種した37歳の女性が血栓症で亡くなった事例を受け、ベルギー政府は2021年5月26日からこのワクチンの41歳以下への接種を一時停止すると発表しました 14。第一弾ワクチンキャンペーンでは、シェルター等施設での接種後、非正規移民へも対象を広げるはずでした。しかしこの事態を受けて遅れが生じる可能性があります。また、2021年6月5日のThe Lancet Regional Health Europeの記事によれば、住所や労働状況を基に接種が行われるベルギーにおいて、非正規移民へのワクチン接種は全国的な遅れが予想されています 15 。

とはいえ、非正規移民の新型コロナワクチン接種に関して、ベルギーは一歩踏み込んだ対応をしているといえるのではないでしょうか。この連載では、今後もベルギーの動向を見守りつつ、各国の非正規移民のワクチン含む保健や医療へのアクセスの状況や、非正規移民たちの保健医療アクセスを保障する意義、あるいは国際協調等についてユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)(注3)の観点から考えていきたいと思います。

おわりに

冒頭のとおり、ブリュッセルの非正規移民たちは政府へ自らの主張を伝えるにあたり暴力的な手段を用いることなく、ハンガーストライキやデモという方法を何度も用いてきました。彼らはハンガーストライキに対して、必ずしも希望を持っているわけではありません。ある調査に応じた約半数の回答者は、自分たちのハンガーストライキが、自らの健康を害するだけで、実りのないものに終わってしまうのではと感じています 16。しかし正規の身分や職を持たない彼らが声を挙げる方法は限られており、デモに頼らざるを得ない日常がもう20年ほども続いています。そんな非正規移民たちの健康に関してできることは-この連載を通じて、少しでも世界の現状を知り、分析し、伝えることができればと思います。

(注1)この記事では引用元記事内のundocumented migrants, undocumented immigrants, irregular migrant, les personnes sans papiersについて「非正規移民」と表現しています。

(注2)当記事は2021年6月24日版として掲載されたものとなります。今後アップデートが行われる可能性があります。その際には掲載時の各版について明記します。

(注3)UHCとは、「すべての人が適切な予防、治療、リハビリ等の保健医療サービスを、支払い可能な費用で受けられる状態」のことです 17。

(小松愛子 長崎大学大学院 熱帯医学・グローバルヘルス研究科博士前期課程)

[1] Twitter @InfoMigrants (4 June 2021), “Undocumented migrants in Brussels continued their hunger strike protest and building occupation this week.They want the government to examine their cases and grant them residency permits.These pictures were taken on Wednesday, the strike’s 10th day.” Retrieved from (https://twitter.com/InfoMigrants/status/1400787082897989632?s=20)(accessed 6 June 2021)

[2] Twitter @InfoMigrants (28 May 2021), “~700 undocumented migrants started a hunger strike in Brussels, Belgium, this week. These pictures were taken inside a church – one of several buildings that migrant activists have occupied. For weeks, they have staged protests, demanding residency papers and housing.” Retrieved from (https://twitter.com/InfoMigrants/status/1398222371052572679?s=20) (accessed 6 June 2021)

[3] InfoMigrants (2021), ”Undocumented migrants protest in Brussels church”, available at (https://www.infomigrants.net/en/post/30052/undocumented-migrants-protest-in-brussels-church) (Accessed 6 June 2021)

[4] euronews (2018), Immigrants struggle for health care in Belgium”, available at (https://www.euronews.com/2018/03/15/immigrants-struggle-for-health-care-in-belgium)(accessed 7 June 2021)

[5] Belgian Health Care Knowledge Center (2015), “WHAT HEALTH CARE FOR UNDOCUMENTED MIGRANTS IN BELGIUM?”, available at (https://kce.fgov.be/sites/default/files/atoms/files/KCE_257_Health_care_Migrants_Scientific%20Report.pdf)(accessed 8 June 2021)

[6] WHO Regional Office Europe (2021), COVID-19 Health System Response Monitor, Belgium, Policy Responses for Belgium, 4. Paying for services, 4.2 Entitlement and coverage, available at (https://www.covid19healthsystem.org/countries/belgium/livinghit.aspx?Section=4.1+Health+financing&Type=Chapter#12Entitlementandcoverage) (accessed 6 June 2021)

[7] Belgian Health Care Knowledge Center (2019), “PERFORMANCE OF THE BELGIAN HEALTH SYSTEM – REPORT 2019”, P.36 available at (https://kce.fgov.be/sites/default/files/atoms/files/KCE_313C_Performance_Belgian_health_system_Report.pdf)(accessed 23 June 2021)

[8] Roberfroid D, Dauvrin M, Keygnaert I, Desomer A, Kerstens B, Camberlin C, et al. “What health care for undocumented migrants in Belgium?”, Health Services Research (HSR). Brussels: Belgian Health Care Knowledge Centre (KCE); 2015 22/12/2015. KCE Reports 257 available at (https://kce.fgov.be/sites/default/files/atoms/files/KCE_257_Health_care_Migrants_Scientific%20Report.pdf)

[9] Twitter@PICUM_post (14 January 2021), “Glad to hear Brussels Minister @alainmaron saying “it’s out of question to exclude #undocumented people from the #CovidVaccine. Healthcare for all means better health for everyone.” (インタビュー動画あり)Retrieved from https://twitter.com/PICUM_post/status/1349656487816278018?s=20) (accessed 8 June 2021)

[10] Platform for International Cooperation on Undocumented Migrants (2021), “The COVID-19 Vaccines and Undocumented Migrants: What are European countries doing?”, available at (https://picum.org/covid-19-vaccines-undocumented-migrants-europe/)(accessed 8 June 2021)

[11] La Chambre des represéntants de Belgique (2021), “COMMISSION DE LA SANTÉ ET DE L’ÉGALITÉ DES CHANCES (2 March 2021)”, available at (https://www.dekamer.be/doc/CCRI/html/55/ic393x.html) (accessed 8 June 2021)

[12] BX1(2021). “Vaccination : une équipe mobile sur le terrain pour vacciner les personnes sans-abri”, available at (https://bx1.be/categories/news/vaccination-une-equipe-mobile-sur-le-terrain-pour-vacciner-les-personnes-sans-abri/)(accessed 9 June 2021)

[13] Common Community Commission (COCOM), available at (https://be.brussels/about-the-region/the-community-institutions-of-brussels/cocom?set_language=en) (accessed 9 June 2021)

[14] REUTERS (2021), Belgium halts J&J COVID vaccine for under 41s after first EU death”,

 available at (https://www.reuters.com/business/healthcare-pharmaceuticals/belgium-says-halts-jj-covid-jab-under-41s-after-one-dies-2021-05-26/)(accessed 8 June 2021)

[15] Armocidaa, B. Formentib, B. Missonib, E. D’Apiceb, C. Marchesec V. Calvib M. Castellic, F. and Ussai S. (2021). “Challenges in the equitable access to COVID-19 vaccines for migrant populations in Europe”, The Lancet Regional Health Europe (2021), DOI: https://doi.org/10.1016/j.lanepe.2021.100147

[16] Vanobberghen R, Louckx F, Devroey D, Vandevoorde J. “Five Years Later: The Impact of a Hunger Strike on Undocumented Migrant Workers in Brussels.”, Journal of Immigrant and Minority Health. 2020 Apr;22(2):392-398. doi: 10.1007/s10903-019-00886-6. PMID: 30949793.

[17] 国立国際医療研究センター国際医療協力局(2020), 明日の国際保健医療協力magazine “NEWSLETTER”, 2020 vol. 12, available at (https://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/2017/01041338.html)(accessed 20 June 2021)

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